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横田めぐみは金正日将軍への単なるお土産だった?|【横田めぐみ拉致事件】第1回

※この記事は最後まで無料でお読みいただけます。

拉致事件と3号庁舎
本ブロマガに度々登場し、私が常々取材対象としている北朝鮮元工作員について説明したい。同人は、横田めぐみ拉致事件についても貴重な情報を語ってくれている。何故語ることができるのか、それは元工作員が所属していた「3号庁舎」と呼ばれる部署に理由がある。この3号庁舎とは「情報機関」の通称で、約10年前まで実働していた朝鮮労働党の情報機関である。平壌市の朝鮮労働党3号庁舎に、作戦部、統一戦線部、対外連絡部の3部門が集約されていた為、そのように呼ばれていた。金日成、金正日の2代にわたり、特別な予算と絶大な権力が付与されていた。なお現在、作戦部は軍の偵察局に統合され、対外連絡部は朝鮮労働党統一戦線部の隷下に再編されている。公安関係者は元工作員について、「3号庁舎の工作員に関しては、我々も話を聞いています。かなり詳細に話しているようですね。ウソはなかったと聞いています。但し裏が取れない部分もあります。」と評価していた。私が重要な情報協力者としている所以である。


本回より横田めぐみ拉致事件を取り上げます。全3回を予定し、全て無料配信の記事と致します。横田めぐみ拉致事件における、世間では公表されていない新事実に関しても取り上げていきます。ぜひお読みくださいませ。
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上記写真-FRIDAY 平成15年2月7日発売(記事抜粋) 本稿の元工作員への取材は、故・安明進氏(特定失踪者問題調査会・代表荒木和博氏によれば中国で死亡したとされている)の証言に基づき行われた。元工作員によれば、このフライデー記事における安明進氏の証言(『めぐみさんは間違いなく生きている』)は概ね真実ということだった。


横田めぐみ拉致事件は失敗だった?


私が常々取材対象としている元工作員は語る。「平壌だけではなく、北朝鮮全土で横田めぐみ拉致事件については秘密になっています。何故なら、金正日が横田さんを北朝鮮に連れてきた事に激怒したからです。13歳の子供を日本人化教育の教師にはできません。その上帰りたいと泣きじゃくる等始末にも困ります。彼女は平壌には住んでいないと思います。」と話した。

さらに犯人像については、「日本人には理解できないと思いますが、彼女を連れて来たのは学生たちだったのです。金正日政治軍事大学の学生です。いわば工作員の卵たちです。総勢5人です。工作員養成課程の最終段階で、日本へ密入国するのです。日本風に言えば修学旅行です。その修学旅行も終わりに近づき、金正日へのお土産としての手柄を焦った彼らは、横田めぐみさんに目を付けたのです。彼らの帰国には貨客船万景峰号が用意されていたにも関わらず、工作船の派遣要請の為、本国へ連絡を入れたのです。」と話した。

ここで注目すべきは、工作員と遭遇したのではなく、「狙われた」という発言だ。帰国手段の変更を必要としたと言う話しも、裏取りの手だてはないが信憑性はある。さらに気になるのは、実行犯5名は、その後の教育課程を修了して工作員となったのだろうかという疑問には、「もう横田さんを拉致したことで、工作員の資格はないですよ。消えたようです。形式的に言うのであれば消息不明が正しいですね。」と答えた。

これまで私たちが知っている拉致事件というのは、本国の指示のもと工作活動の成功例として語られている。しかし、横田めぐみ拉致事件に関しては、工作の失敗の結果として身柄が北朝鮮にあるという特異な例ということになる。横田めぐみは、その後北朝鮮で他の拉致被害者たちとは別の行動をとったのだろうか。

元工作員は、「拉致被害者は招待所に行くのが通常です。そこで北朝鮮のことを教わります。横田さんは別のところに連れて行かれたと思います。北朝鮮に入ってからの消息が、私たちの中でも途切れているのです。もしかしたら金一族の別荘がある元山かもしれないと思っていましたが、蓮池さんが元山で海水浴をしていたとき、横田さんを目撃したと話していると知って、本当に驚きました。そして正直ほっとしました。」と語っている。

これらの情報は、我が国の公安当局も承知しており、高い関心を示している。世間に流布されている事件とは、相当違う様相であるが、如何せん最新情報による裏付けがない。そこで、特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)は、昨年現地調査を実施、本ブロマガの編集委員の一人も同行取材した。

新証言、横田めぐみの悲鳴を聞いた?


「きゃー、助けて」

あの日、拉致現場で彼女の悲鳴を聞いていた人がいた。大声ではない、瞬時に絞り出した様な、か細い声だったそうである。場所は自宅から数メートルだったという。

これまで一切不出生の新事実である。特定失踪者問題調査会による執念の現地調査が探り出した新証言は、横田めぐみ拉致事件の様相を一変させた。これまで繋がらなかった事実が、点と点を結ぶように繋がりはじめたのである。事件当日の昭和52年(1977年)11月15日午後6:30、新潟中央署は220人の全職員を招集、翌朝からは県警機動隊760人を加え、新潟市寄居中学校や周辺に配置して捜査に当たった。この布陣を確認してみて、長年事件記者をしてきた私には、「営利目的誘拐ではない」ことが一目瞭然である。何らかの事情を県警や所轄署は掴んでいたはずだ。

次号は誘拐事件捜査のベテラン刑事の証言などから、横田めぐみ拉致事件の真相に迫ります。

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Profile

佐村多賀雄

samurajournal

大阪芸術大学卒。地方紙記者、講談社フライデー、そして週刊現代を経てフリーに。週間フライデー拉致犯追跡チームにて拉致実行犯に対し直撃取材を何度も試み、多くのセンセーショナルな記事をあげる。その膨大な取材量と捜査員など関係者一同からの聞き取り調査は、現在においても色あせることはない。『なぜ犯人が捕まらないのか❓』という疑問に対し、現場の最前線でこの20年近く向き合い続けてきた、拉致事件を専門に扱う異色のジャーナリスト。

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