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北朝鮮工作員・張龍雲が拉致を暴露!?|【田中実拉致事件】第1回

※この記事は最後まで無料でお読みいただけます。

田中実(政府認定拉致被害者)
昭和24年(1949年)7月28日生れ、神戸市出身。彼の幼い時に両親が離婚、神戸市内の養護施設で育つ。神戸市立高羽小学校、鷹匠中学校、神戸工業高校を卒業の後、市内のパン製造会社に就職するが退職、失踪直前は阪神「青木」駅近くの中華料理店「来大」の店員として働いていた。そして平成8年(1996年)に発刊された、「文藝春秋」(平成9年1月号)に、神戸市在住の在日朝鮮人、張龍雲(チャン・ヨンウン)が、自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白して、同組織の韓竜大(ハン・ヨンデ)と曺廷楽(チョウ・ジョンガリ)が共謀の上、昭和53年(1978年)6月6日に田中さんをウィーンに連れ出し、モスクワを経由して平壌へ拉致したことを暴露した。韓は彼が務める中華料理店「来大」の経営者だった。平成11年(1999年)には、「洛東江」の謀略を詳述した張氏の著書「朝鮮総連工作員-黒い蛇の遺言状」が小学館文庫より出版された。平成17年(2005年)4月27日、田中実は拉致被害者認定。当初北朝鮮は田中実について入国の事実なしと回答していた。平成30年(2018年)日本政府は、平成26年(2014年)の接触時に北朝鮮側が、田中実の入国を認めたと、明らかにした。


本回は田中実拉致事件の第1回目。第1回目では、当時フライデー編集部にいた私こと佐村が、田中実拉致事件に取り組む契機となった人々との出会い、取材記者としてこの事件に取り組み始めたころのルポをお届けします。

救う会兵庫・長瀬との出会い


私が田中実拉致事件の取材を始めたのは平成10年(1998年)だった。当時フライデーは、本社からの2名に私を加えた3名で、実行犯取材を始めていた。編集部内でもデスク以外には目的や対象が秘密にされていた。2年後、「朝鮮総連工作員〜黒い蛇の遺言状」(小学館文庫)という文庫本が手元に届いた。送り主のデスクFは、「この本に書かれている洛東江グループの張龍雲と接触すれば、実行犯とされる曺廷楽、韓龍大の居場所がわかる。ターゲットに近づく事ができる。」と、その意図を言っていた。しかし、張龍雲はすでに死去しており、当ても無く街に飛び出しては、糸口を探し求めるような取材を続けていた。

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こちらの著書が張龍雲の書いた著書である。張は在日2世で兵庫の朝鮮総連傘下の商工会議所で「税務対策」に従事していた人間である。パチンコ屋など朝鮮商工人の代わりに税務署に行き、恐喝・恫喝を交え灰皿を投げつけながら税金を少しでも安くするように税務署と掛け合う、そんな仕事をしていた人間である。当然反日の急先鋒であるが、朝鮮総連などに騙されお金を取られるようなことが起きてから、総連とは一歩距離を取るようになったようである。本書は一読の価値がある。ちなみに「黒い蛇」とは張のあだ名である。無言の圧力・脅迫で北朝鮮本国に送る金を朝鮮商工人から巻き上げていた張につけられたあだ名だ。こちらにリンクを用意しておく(➡朝鮮総連工作員-黒い蛇の遺言状


東京の三田会館で行われた救う会全国協議会の幹事会に足を運んだ折、救う会兵庫の長瀬と出会った。全国協議会が結成される以前から活動していた古参組織であり、田中実の故郷である神戸市が活動拠点なので、一度会ってみたいと思い接触を図ったのである。

救う会兵庫は、全国協議会に加盟する以前「被拉致日本人を救出する会」として、大阪経済大学の助教授黒坂真をリーダーとして、活動していた。その後黒坂は全国協議会には加盟せず、独自に芦屋市を中心に署名活動を展開していた。初見の夜、酒席で「誰か詳しい人を紹介して欲しい・・・」と、単刀直入に頼んだところ、後日長瀬から引き合わされたのが黒坂だった。

長瀬とは以降頻繁に情報交換をする間柄となり、今日に至っているわけだが、彼を田中実の実行犯に直撃させ、その決定的な瞬間を捉えることになるとは、このときは想像できなかった。

「拉致問題で実行犯取材は、難しいですよ。田中実拉致事件もそうですが、実行犯が“はいそうです”と認めることはないでしょう。彼らは墓場まで秘密を持って行く、それが工作員ですからね。そして、運が悪ければ組織に目を付けられる危険性もある。」

取材意図を聞いた黒坂の最初の言葉である。私としては、目を付けられるほど肉薄出来るなら儲け物、身の危険は事件記者の税金だと心得ていたので、むしろ興味がそそられたというのが本音だった。だから私はしつこく黒坂への取材を試みた。

北朝鮮工作員・張龍雲の妻と接触


何度目かの取材で、「一度、張さんの奥さんと会いますか。僕が電話を入れますから。曺や韓の住所や性格も張さんから聞いているかもしれません。そうなれば取材が進みますよね」目の前で電話を入れてくれた。取材はOKだった。取材の進捗については、長瀬に都度会って報告した。長瀬は生前の張龍雲と会っている数少ない人物だったので、彼からも何か引き出したいと考えていたからである。

現在市会議員をしている長瀬であるが、当時はサラリーマンとして滋賀県長浜市で勤務していた。休みの日には神戸に戻って活動していた彼をつかまえて、情報交換と称して酒を飲んだり、長浜まで行って仕事終わりに「おつかれさん」といって居酒屋に誘ったりしていたのが懐かしい。

張龍雲の未亡人への取材が始まった。

彼女は「主人の持っていたパチンコ屋を、曺に騙し取られた」と開口一番に話し始めた。そして「パチンコ屋は山形県内ですよ。山形市内にはマンションを借りていたと聞いたことがありましたね。住所は、ハッキリとわからないですよ。パチンコ屋の謄本を取れば、出てくるかも知れないですね」と予想以上に協力的だった。

更に取材を進めていくと、「主人が書いていた日記が出てきました。持って帰りますか。今度のときまでお貸しします。」と言って日記帳を段ボール箱に一杯預かって帰ることに成功した。下記に掲載している写真はそのとき預かった日記帳である。この日記帳の記述から張の著書(朝鮮総連工作員-黒い蛇の遺言状)からでは知る事のできない貴重な情報を得ることができた。実行犯直撃の土台となった情報であり、政府は認めていないが、この情報に基づく活動が無ければ、田中実拉致事件は拉致認定されていないと確信している。

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次号第2回では、公安当局が作成したチャート図を公開します。次回も無料配信しますので、お楽しみに!

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Profile

佐村多賀雄

samurajournal

大阪芸術大学卒。地方紙記者、講談社フライデー、そして週刊現代を経てフリーに。週間フライデー拉致犯追跡チームにて拉致実行犯に対し直撃取材を何度も試み、多くのセンセーショナルな記事をあげる。その膨大な取材量と捜査員など関係者一同からの聞き取り調査は、現在においても色あせることはない。『なぜ犯人が捕まらないのか❓』という疑問に対し、現場の最前線でこの20年近く向き合い続けてきた、拉致事件を専門に扱う異色のジャーナリスト。

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