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北朝鮮の対日工作機関の特性を探る!|【松本京子拉致事件】第1回

※この記事は最後まで無料でお読みいただけます。

松本京子(政府認定拉致被害者)
松本京子=失踪当時(29)=は、昭和52年(1977年)10月21日午後8時ごろ、編み物教室に行くため外出。近所の人が自宅近くで、彼女とみられる女性が男2人と話しているのを目撃し、声を掛けたが、その目撃者は二人の男の内の一人に殴られて負傷した。男らは海岸方向に向かい、松本さんは行方不明となった。北朝鮮政府は平成16年(2004年)11月の実務者協議で、松本さんについて「入国は確認できなかった」と回答していたが、日本政府は2年後の平成18年11月20日に北朝鮮による拉致事件と断定した。〔出典:特定失踪者問題調査会〕


本回は松本京子拉致事件の第1回目。第1回目では松本京子拉致事件を基に、北朝鮮の対日工作の特性や実態を、その実行犯や支援組織の形態の観点から白日の下に晒したいと思います。ぜひご一読ください。

松本京子、中朝国境の貿易現場にて現る!?


前回まで3回にわたり田中実拉致事件の序章として、非公然組織洛東江とその周辺について記した。このまま一気に実行犯直撃まで進めても良かったのだが、劇的な場面にのみ、読者の関心が集まってしまっては、私の伝えたい本当の事が伝わらないと考えた。そこで、全く違う事件を取り上げて、北朝鮮の対日工作の特性を実行犯や支援組織の形態から考察したい。今回は松本京子拉致事件をその対象にする。

松本京子拉致事件は、冒頭の概要だけを見るならば、田中実拉致事件とは似ても似つかない。工作員と遭遇してしまった事による偶発的な事件の様にも映る。しかし、私が取材で得た目撃情報によれば、彼女は拉致された後、北朝鮮で何かの任務が与えられ、積極的だったか否かは別として、少なくとも外見上は自発的にそれを遂行していたという。

田中実の場合は、拉致されるまでの過程に洛東江という商工人を中心に組織された工作機関が介在した。一方松本京子に関しては、拉致された後の情報からやはり商工人と関わりの強い工作機関が介在している可能性が高い。彼女の任務遂行の様子を考えると、田中実や金田龍光の北朝鮮での動きも想像できる。さらには北朝鮮における拉致被害者の「運用」にも及び、北朝鮮の対日工作の姿を浮き彫りにすることが出来るのではないだろうか。私が得た松本京子の目撃情報とは、次の様なものだった。

北朝鮮を含む北東アジアで貿易を営む、現役の商工人との接触に成功した。この貿易商は、語学が堪能で中朝国境をまたいで両国を行き来している。「日本の輸出財では世界に通用しないと昔から思っていました。とりわけ資源が乏しく、この分野では北朝鮮にも及びません。だから大陸の魅力に取りつかれたのです。」と自らの立場を話してくれた。

この貿易商が、北朝鮮ではなく中国の瀋陽で松本京子を見たという。取引先が日本人の場合などに、北朝鮮側が用意するアシスタントとして交渉の場に姿を現した。始めはお茶汲みだと思って見ていたという。

「最初に彼女がお茶を運んで来たときは、中国の朝鮮族出身かと思いましたが、交渉が終わって雑談を始めたら、彼女の日本語があまりにも上手で驚きました。」これが松本京子の第一印象だったという。瀋陽には世界中から貿易商が集まっているが、日本人は極めて少ないそうで、北朝鮮側の要員として日本人が登場したことは、この貿易商の経験では彼女が最初で最後だった。そんな印象深い日本人女性の容姿は貿易商の脳裏に焼き付いた。そしてしばらく後日本国内で松本京子の写真を見たとき「彼女だ!」と確信したという。この話が真実であれば、中朝国境貿易の現場で北朝鮮の利益を守る側の要員として、相当程度の信頼を得ていたという事であり、偶発的な拉致事件の被害者がこれを行うのは不可能である。事前に日本国内の組織と連絡を取り合い、必要な人材を探し出して接触して、信頼を得て拉致したのではと思いたくなる。


松本京子拉致事件は偶発的なものだったのか?


松本京子拉致事件の夜、彼女の自宅から約200メートル離れた家の人が、裏庭で京子さんと見知らぬ男が会話をしているのを目撃している。男は2人で、1人が京子さんと会話をし、もう一人は見張りをしているようだった。このとき、目撃者が「何をしている?」と男に声をかけると、1人が殴りかかり、額に縫うほどの怪我を負わせ、海岸の方向へ逃走した。通報を受けた米子警察署が追ったが、逮捕できなかった。(出典・特定失踪者問題調査会)

この傷害事件で、もし犯人を逮捕できていたら、松本京子拉致は防ぐ事ができたのだろうか。関係筋にこの質問をぶつけてみると、「おそらく発生してなかったでしょう。ただ、前もって犯人の立ち回り先が分かっていれば、県内全域に緊急配備を敷いて炙り出すことも可能ですが、そこまでの情報は無かったのでは・・・」と言った。この2人の工作員は、拉致の最終段階に近い任務を持っていたであろう事は想像に難くない。彼らをかくまい証拠を消す支援組織が無ければ、この最終段階の任務も不可能である。関係筋の話は、それを裏付けている。奴らの基地を探すべく、私は島根県松江市に東アジアネットワークを主宰する石原倫理を訪ねた。

石原はかねてから松本京子拉致事件を調査しており、米子市内にも詳しい。彼は一軒の民宿に目を付けていた。「米子市から隣りの境港市に向かうその中間に、一件の民宿があります。そこには人の出入りが激しく、怪しい人物たちが集まっているようです。そこがアジトと聞いたのですが、一度調べて下さいよ」 彼の言葉通りその民宿はあった。松本京子が拉致されたとされている海岸から、ひと山越えたあたりの海岸近くにあった。周辺の聞き込みを丹念に行ったが、これといった証言は得られず、民宿の女将にも当たったが何も得られなかった。残念ながら、宇出津事件のときの様には行かなかった。

状況証拠として、松本京子が拉致された海岸の砂浜には、穴が掘られていた。夜間そこに伏せていれば気付かれない程度の大きさだったという。ここで沖合に照明を向けて工作船を呼び寄せた可能性はある。アジトの近くに接点を設けるというのは、宇出津事件に酷似しているのだが。

証言が極めて少なく、状況証拠に頼らざるを得ないが、現場を見てもやはり偶発的に発生したものとは考え辛い。そうなると、逃走した2人の工作員とは、顔見知りだったのだろうか。兄の松本孟によると、 「京子には恋人もいなかった。近い男性仲間もいなかったようですよ。そら男性がいたら家に連れてきて、紹介するでしょう。一切聞いたことはないですね。」との事であった。難事件である。


次号、松本京子拉致事件第2回は、兄の松本孟のインタビューと、更なる目撃証言を報告します。

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Profile

佐村多賀雄

samurajournal

大阪芸術大学卒。地方紙記者、講談社フライデー、そして週刊現代を経てフリーに。週間フライデー拉致犯追跡チームにて拉致実行犯に対し直撃取材を何度も試み、多くのセンセーショナルな記事をあげる。その膨大な取材量と捜査員など関係者一同からの聞き取り調査は、現在においても色あせることはない。『なぜ犯人が捕まらないのか❓』という疑問に対し、現場の最前線でこの20年近く向き合い続けてきた、拉致事件を専門に扱う異色のジャーナリスト。

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