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拉致実行犯の金世鎬-本国からの北朝鮮工作員|【宇出津事件】第6回

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宇出津(うしつ)事件とは
1977年9月18日に石川県能登半島の宇出津で発生した拉致事件。宇出津はこの地方の旧町名であり、今でも宇出津商店街や宇出津新港などその地名は地元民に親しまれている。この宇出津を代表する石川、福井両県のリアス式海岸(大小多数の入江が続く、海岸線が複雑なことが特徴)は北朝鮮工作員がゴムボートで接岸し、工作員を送り込むのに適した海岸線であった。この事件の被害者・久米裕(当時52歳)は北朝鮮工作員である在日朝鮮人李の偽計により騙され、北朝鮮からやってきた屈強な工作員の男たち複数名にこの海岸より工作船に乗せられ北朝鮮へと渡った。久米は政府認定拉致(日本政府が公式に拉致被害者と認定した事件・被害者をいう)の一人であり、今も日本に帰国出来ていない。
ushitsu_chart.jpg

今回もチャート図を再掲するのでご覧頂きたい。一段目中央に「朝鮮工作人」として2名の金某が記載されている。北朝鮮から入国して来た工作員と読むことができる。特に北朝鮮からの指令を李秋吉に伝えたとされる「吉田こと金某=金世鎬(キム・セホ)」は、拉致実行犯李秋吉の指導役であり、宇出津事件の主犯格である。世間では報じられていないが、拉致実行犯の金世鎬は在日朝鮮人を含めて数多くいる北朝鮮拉致実行犯の一人だ。このチャート図を見た以上、この最重要人物である金世鎬について、私は元捜査員に質さない訳にはいかなかった。

「この人物については知らないのです。」

当初元捜査員は決して話そうとはしなかったのである。語らないということは、そこに真実が隠されているということの証(あかし)だ。昔気質の刑事の習性が、私に確信を抱かせたのであった。本丸を攻めても無理なら堀を埋めていくしかない。そこで私は警察庁関係者をはじめとする公安関係に取材対象を拡げ、引き続き石川県警への周辺取材を行う二正面体制で取材を続ける作戦に出た。

montage.jpg


取材を進めて行く中で、金世鎬のモンタージュ写真を入手した。もしかして警察当局はモンタージュを作る以前より、本国からの北朝鮮工作員・金世鎬を捕捉していたのではないのか。私はそんな疑いをもっていた。なぜなら、彼は昭和52年7月15日に北朝鮮貿易団の一人として堂々と入国していたからだ。もちろん偽名を使っていたはずだ。

平成15年(2003年)1月に金世鎬が国際指名手配されたとき、ある警察当局者に、この点を質したところ「名前は違っていたようです。その訪朝団時の偽名を明かすよりも指名手配の金世鎬(本名)が分かっていればもういいじゃないですか。」と煙に巻かれた事があった。そして「当時ですからね。国交がないとしても貿易団としっかりと名前が付いていれば訪日は出来たのですよ。」と、金世鎬が入国していた事実をあっさり認めたのであった。なお、公安調査庁や海上保安庁は新潟港に入港した万景峰号に出入りする全人物の写真を撮っていた。警察がそれをしていないはずがないのである。にもかかわらず、元捜査員が知らないことはないのだが…!?

昭和52年(1977年)7月、金世鎬は入国したその日にアジト(保谷市にあったアジトの写真は前回掲載)に向かったとされている。この年の7月は前任者である吉岡実こと金某(本名不詳・チャート図の朝鮮工作人の左側)が帰国してから4か月後であるから、アジト内での引き継ぎは出来なかったはずだ。再整理だが、金世鎬は吉田姓を、金某は吉岡姓を名乗っていた。そしてこの吉岡と名乗っていた金某も宇出津事件の拉致実行犯の一人だ。

主犯格の金世鎬らは、この一軒家を昭和48年(1973年)10月末から借りていた。昭和52年(1977年)9月に久米裕が拉致されているので、約4年間アジトとして使用していたのである。この間に李秋吉に対し工作員教育が行われたと推測される。改めてチャート図で確認してみると、吉岡実こと金某は昭和48年(1973年)8月に入国して昭和52年(1977年)3月に帰国している。約3年半にわたり李秋吉への基礎演習を実施したと理解できる。基礎演習を経て任務遂行が可能な水準に達したので、指令者として金世鎬が来日して直接指導したのであろう。

ここで、吉岡実こと金某と金世鎬の容姿をチャート図の情報から類推してみると、年齢や身長などが良く似ていることが判る。前回、北朝鮮工作員が使用するアジトの特徴について語った元工作員(私が直接取材した人物)は、アジト周辺に金某と金世鎬が入れ替わったことを見破られない為に、作為的にそうしていると言っていた。警察当局のみならず周辺住民に対しても、彼らの警戒心が極めて強いということである。

私は、色々な周辺情報を集め少しずつ堀を埋めるように、元捜査員への問いかけを続けていた。すると「僕らが捜査した結果の中では金某だけ。金世鎬の名前は後々にわかったことです」と、金世鎬は当初捜査対象人物ではなかったと話し始めた。当然だが、警察関係者は退職してからも守秘義務がある。金世鎬のこともかなり詳細に把握しているというのは分かるのだが、これ以上はなかなか聞き出せない。元捜査員は李には何度も「吉岡実こと金某」のことは聞いたらしい。その度に、李は話をはぐらかしたという。

東京の李秋吉自宅へは2度のガサ入れが行われた。しかし拉致犯罪の決定的なブツ(証拠品)は得られなかった。今度こそはと当時の県警本部長へ捜査員らは頼み込んだ。本庁との協議の結果待ちだった。三回目のガサ入れは警察庁も渋るのだ。

「三回目のガサ入れは、お願いして数ヶ月はかかりましたね。もしですよ。もしね。何もブツが出ない場合は、捜査本部は解体し僕もクビかなあと考えていた」と言う。元捜査員にデカ魂を感じた。こうして3回目となる執念のガサ入れは実現したのである。

しかし、何も出ない。元捜査員をはじめ皆が諦めかけたその時、「班長!」と大きな声が響いた。何と自宅前にある松の木の根元に、掘り返したような跡を見つけたのである。慎重に捜査員らが掘ると、約50センチの深さのところから、古くなった茶筒が姿を表した。「あの瞬間に、これで(李秋吉の)身柄を地検へ送ることが出来ると思いましたね。」状況を語っているときの元捜査員の興奮は、当時を彷彿とさせるものがあった。まさに執念であった。

茶筒をあけると、薄汚れた紙が出てきた。


次回は、宇出津事件シリーズの第7回目。北朝鮮拉致の方法、その恐るべき実態を犯行シーンを再現しながら説明しております。そして、茶筒の中にあった薄汚れた紙「A-3指令」(乱数表)も実物の写真を公開します(北朝鮮拉致の方法-連れ去られた拉致被害者たち!|【宇出津事件】第7回)

告知しておりましたが、次回第7回目より本ブログは有料配信となります。次回配信時(10月4日予定)より有料配信のため、第7回記事のサイトにてご購入のためのお手続きをご用意しております。何卒ご購入のお手続きを宜しくお願い申し上げます。今後も無料配信記事を月ごとに特別編を設け、有料記事と共に配信していく予定でございます。どうぞそちらもご閲覧頂きまして、佐村ジャーナルを何卒宜しくお願い致します。


※本来は無料でのブロマガ配信を考えていたのですが、フリーでの取材活動を続けていくために経費ねん出の必要性もあり、月500円の購読料のご負担をお願いすることとなりました(本回である第6回目まで無料)。このブロマガは私の体力が続く限り継続していくつもりです。よろしければ拉致事件の真実を一緒に考えていただきたく、何卒ご購読を宜しくお願い申しあげます。

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佐村多賀雄

samurajournal

大阪芸術大学卒。地方紙記者、講談社フライデー、そして週刊現代を経てフリーに。週間フライデー拉致犯追跡チームにて拉致実行犯に対し直撃取材を何度も試み、多くのセンセーショナルな記事をあげる。その膨大な取材量と捜査員など関係者一同からの聞き取り調査は、現在においても色あせることはない。『なぜ犯人が捕まらないのか❓』という疑問に対し、現場の最前線でこの20年近く向き合い続けてきた、拉致事件を専門に扱う異色のジャーナリスト。

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